ロルファー田畑さんのオンラインWSに参加(2023.02.11)

2月11日土曜の夜、ロルファー田畑さんのオンラインWSに参加した。

テーマは、「側方空間から,顎・咽頭周辺を探求する」。

zoomにアクセスした最初の時点から、(別に部屋があるわけじゃないから不思議な表現なのだけど)その”場”に、暖かさやホッとする感じがした。

画面からなのかスピーカーからなのか。
その心地よさがこちらの部屋まで広がってきて、ずいぶん穏やかな気分で受け始められることが嬉しかった。

対面でのワークショップの際、部屋中に”良い感じが良い密度で流れてる”ように感じられる時がある。
そんな時は、場が”練られてきた”と呼びたくなるのだけれど、昨日は最初から、それもオンライン上のグループで感じられたことが興味深く、そして、それ自体が良い感じだった。
(一緒に参加していたイールダーYさんも感想で近いことを話されていたのも面白かった。)

・ワークの前、部屋の中でただ立った時の身体の印象
目の奥にギューっという力みを感じた。
足に力みがあって、両足とも指があまり接地していないように感じた。

・部屋の中で落ち着く立ち位置を見つけた時の身体の反応
その位置で、さらに落ち着く身体の向きを探っていると、胸骨のあたりが捻れる動きや胸郭を大きく使った呼吸が起きたりした。
良さそうな身体の向きが見つかると、身体が反応して少し動いた後、早く横になりたい衝動が湧いてきた。

・横になってから起きたこと。
今回は左側の体側を下にしてスタート。
田畑さんが立ち位置を探される際、A・Bの二箇所に立たれたのだけど、それぞれで反応が異なり、天井側の右脚が主に動いた。

Aでは体側が伸びてアクティブな反応が早く立ち上がる感じ。Bは身体を丸めるような動きで休息モードに向かいそう、しかし少しだけ窮屈。
そう思っていると田畑さんがCの位置に移動されて、自然と右足が動いて力みが少ない体勢になり、感覚的・気分的にも落ち着き感が得られた。

・腕を使ったムーブメントワーク
天井側の右腕を挙げて、支えやすい方向や肘の角度を見つけた後も、少しずつ進む身体の反応に合わせて、腕も、より支えやすい位置へと動かしていった。

目の奥がまず緩まった。ふーっと力が抜けると同時に鼻の奥の空間が広がった。
顔や喉の力が抜ける位置へと腕・手の位置を微調整すると、さらに喉の力が抜けてきて、イビキのような音を出しながら、ワークを続けた。

右腕は肘を曲げている方が支えやすかったが、ポジションを変えた後の左腕のムーブメントは、最初、肘を伸ばしたままの方が支えやすかった。(反応が進む中で、左肘も曲げることになった。)

逆サイドでも主に喉や鼻の奥が広がり、休まる感じで、ぐーぐーと軽いイビキを立てながら、半覚醒の状態で最後までワークが進んだ。

・立ち上がってから
起き上がると片方の鼻がよく詰まっていた。にも関わらず、喉の奥や頭の中央の空間がとても広く感じられた。喉が緩んで声の響きも深くなっていた。

足に感覚を向けると、五本の指も含め、全体が柔らかく接地しているのが感じられた。
深く休んだ後のように、しばらくぼーっとしていた。

目の奥はずっと緩んだままで、周りを見渡すように頭を動かすと、その動きに目が穏やかについてくる。
これまで、何かを”見よう”として目を動かしていたけれど、目と頭の動きがチグハグだったのかもしれない、とふと気づいた。

部屋・空間の感じ方にも変化があった。いつもと同じ部屋なのだけど、親和性や親近感が増しつつ、同時に新鮮な場所であるように感じられた。
部屋の様子を見ようとしているというより、部屋の様子が見えてくる、光景が目に入ってくる感覚だった。(*1)

”見よう”という意識はあるのだけれど、普段よりとても薄い意図で、半ば勝手に”見えている”という感じ。

立つことや歩くことについても同様だった。
立とうとか歩こうという仕草や意図がとても少ない。少し意識するだけで立ったり歩いたりできることが心地よい。

腕については、しばらく、動かし方を忘れた状態が続いた。歩いていてもただ、ぶらんと垂れ下がって揺れていた。「あれ、腕はどう動いていたんだっけ?」とぼんやり思う。(*2)

感想のシェアリングが始まっても、ぼーっとしていて、ワークの感想が言葉にならない。
テンセグリティモデルを触りながら皆さんの感想をしばらく聞いていたら、ようやく腕の感覚や覚醒度が戻ってきて、感想を言葉にできるようになった。

先日のムーブメントワークショップは、身体にパターンとして蓄積した日頃の仕草や意図、身構えが手放されるような体験だったように思う。
そうしたパターンは余分なものなので、しなやかな適応性や、すっと動ける身軽さ、回復力の足枷になりやすい。

一晩たった翌日も、右半身・左半身の繋がりや支えがよいと感じた。気持ちよく動けたり、周りの状況に柔らかく応じられる印象だった。

*1
画家の千住博さんがコロナ禍のNYで自宅待機を余儀なくされた際、本当に外出ができなかったので、自宅庭で散歩する時間が膨大に生まれたときのこと。
庭の樹木を眺める時間が膨大にあって、それまで十分見えているつもりだった木々や葉をとても 新鮮に、丹念に眺める時間を過ごすことができた、と話されていたのが印象に残っている。
如何に新鮮に見るか、とか、見ることの身体感覚について、アーティストに学ぶことも多い。

*2
2017年、代官山での田畑さん、小関勲さん(バランストレーナー)、甲野善紀先生(武術家)のコラボイベントでのこと。
甲野先生が田畑さんのワークを受けられた際、「起き上がれない。立ち方を忘れてしまった」とおっしゃり、しばらく仰向けになったままだった。時間をおいて立ち上がられた後、「スランプに陥った選手にもいいかもしれない」と仰った。スランプの選手はそれまで蓄積したパターンをうまく手放す必要があるのだけど、それが中々できないのだと。
今回の「腕の動かし方を忘れた」体験も、イールドを組み込んだワークが、パターンを一度”ご破算”にして再構築するのに役立つ可能性を示唆しているのではないかと感じる。