Yielding Embodiment®︎のワークショップPart1 その3

Ngorongoro, Tanzania (December 2013)

何よりもまず、プラクティショナーである自分自身の感覚を充実させること。

感覚が充実しやすい場所や間合いを探すこと。

そして、自分の感覚の「一歩先」に歩みを進めること。

このワークショップで一番インパクトのある発見だった。


「感覚を充実させる」とは、身体の内外で起こっていることの知覚や気づきを、もらさず肚(≒身体の重心)に集め、同時に知覚を外側にも開いておくこと。

イメージしづらいと思う(ので「その3」の話題にした)けれど、肚に集まる流れと肚から空間へ広がる流れを同時に開いておくような意識。

肚の感覚はロルフムーブメントのワークショップでも培ってきたが、今回、クライアントに注意を向けるよりもまず、自分の感覚に注意を向けるのが先、ということが身に染みた。

以前は、自分とクライアントへの注意を「1:1」にしたり、あるいは空間への意識を加えて、「自分:クライアント:場や空間=1:1:1」という感覚でセッションを進めていた。

また実際に触れる際は、できるだけ前提を持たず、初めて触れるようにクライアントの身体に起きていることに耳を澄ますのだけれど、自分よりもクライアントに意識を多めに向けることもあった。そうした触れ方で、身体の反応や変化もしっかり得られていた。

けれど今回の実技でセッションする際、感覚や気づきを優先的に自分自身に集めて”薄めない”でいたところ、むしろこれまで気づけなかったような、クライアントの身体からの「声」や、セッション中に進む微細な身体のプロセスを感じることができた。

「相手(クライアント)に意識を向けて観察するよりも、自分の内で起こっている気づきを高めたまま軽く相手を観察する方が、より深く感じとることができる」というのはコロンブスの卵のような気付きだった(#)。


その上で、実技後の質疑応答での「これまでの自分の感覚や経験の一歩先に掘り下げていく」という田畑さんの言葉がとても響いた。

そこだ!と思い、ワクワクした。

セッション中に自分の身体の経験に好奇心を持っていいんだ! まるで盲点になっていたことに自分でも驚く。

質疑応答での何気ない話題だったが、僕には「自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ」と茨木のり子の一節に似たインパクト。目から鱗の瞬間だった。
(もちろん田畑さんの言葉は「ばかものよ」という目線ではなかったけど、その真摯さのトーンには通じるものがある。)

毎セッション、クライアントに好奇心を持つのと同じかそれ以上に、自分自身の感覚経験に好奇心を持って歩みを進めるのだと理解した。

セッションが、よりセッションとして生き生きしたものになることが直ちにイメージできた。

このワークショップ最大の収穫だったと言っても言い過ぎではない。


自分の身体をしっかり感じることが、相手を丁寧に観ることにつながること。

その際、プラクティショナーとして、自分の感覚を一歩先まで掘り下げ新たな経験に出会うこと。

ソマティックな共鳴がセッションの重要な要素だからこそ、大切なポイントなのだと受け取った。

#補足
思えば、英会話でも似たような現象の経験がある。
相手の話のスピードや内容についていけないとき、理解しようと懸命に聞くと、かえって聞こえにくくなる。一方で、ある種の諦めのもと、自分の耳に入ってくる音だけ拾うつもりで聞くと、部分的に聞ける単語から話の全体が掴めてきて、上手くいくと詳細まで聞き取りやすくなる。
同じくドイツでトレーニングを受けた友人からも似た話を聞いたことがあるし、他の事象にも通じるポイントにも思える。