Yielding Embodiment®︎のワークショップPart1 その2

Tarangire, Tanzania (December 2013)

三日間を通して、四人の参加者からワークを受けた。

あるセッション中、自分が心地よく受けられるセッションに共通する特徴に気が付いた。

これまでも時折感じることはあったが、受け手として明確に意識したことのないポイントだった。

それは、プラクティショナー(施術者)からの押し付けがないこと。


Yielding Embodimentというワークは、互いが安全・安心を身体で感じられる間合いやペースを大事にして進められる。

まずこちらがマッサージテーブルに横たわると、プラクティショナーが、互いにとって落ち着いていられる、ちょうど良い立ち位置を探す。

そこでプラクティショナーが肚の感覚を保ったまま見守ってくれていると、こちらの身体が、その間合いや場に対して安心し始めて、ゆったりとテーブルに委ねる(イールドする)反応が始まる。

イールドが進むと、時に、微細な動きが内側から立ち上がってきて、身体のシステムの自己調整が進んでいく。

しかし、プラクティショナーの眼差しや身体の在り方に何かしら緊張がある場合、こちらが窮屈に感じられてきて、うまくイールドすることが難しくなる。

さらに、プラクティショナーが如何に穏やかな状態であっても、こちらがプラクティショナーをどう受けとめ反応するかについて、何かしらの「枠」があるように感じてしまうとき、その枠に身構えてしまって、内側からの反応はとても限られたものになってしまう。(*)

言葉遣いとかタッチとかの以前に、離れて何もせず見守られているだけでも、その「枠」を感じ取ってしまうのだから、身体のセンサーは敏感で賢いのだなと思わずにいられない。

そうしたことは、例えば、「講師の田畑さんのデモ(実演)を見てその通りにやろう」という力みでも起こりうるし、良いセッションをしようとするときの「良いセッションはこう」という無意識の思い込みによっても起こり得る。例えそれが、どれほど善意に基づいていても。

一方で、互いにとってちょうど良い間合いで安心できる場が設定されている時には、伸び伸びと、自由に感じ反応して良いのだ、と空間の知覚も広がり、セッションを受けられること自体が嬉しいような感覚が湧いてくる。

セッションが始まる段階でのこの差は大きい。

ここで、セッションの”文脈”が決まってしまうからだ。

今回のワークショップでは、触れる以前のプラクティショナーの在り方やクライアントとの間合いに焦点が当てられていたおかげで、そのことに気がつくことができた。

*補足
たまたまその枠が、クライアントの身体が求めている方向と一致している場合は問題が起こりにくく、かえって気づきにくい。また、押し付けと「選択肢の提案」は大きく異なる。ロルファー、プラクティショナーとして自覚していたい部分。