大きなリリースのあと

日曜日まで参加した四日間のワークショップでは「結構とんでもない変化」が起こった。
それはチャレンジングで、経験のない深さや質感のプロセスだった、と書きました

その二日後(昨日)。

半田市のおとなり、阿久比(あぐい)町植大(うえだい)のお宅に法事で伺う。

細工も丁寧で、大切に使われてきたと感じられるお仏壇で、今日は心にえらく響いてくるなぁと思いながら勤行を始める。

しっかり声を出そうとすると、自然と身体に意識が向かう。
WSの最終日に起きたリリースの余韻が身体に残っているのも感じる。
振動が身体に伝わると、読経中にも身体のプロセスが進みだす。

肩から指、骨盤から足趾へモゾモゾと動きが伝わるのに気づきながら、勤行を続ける。

お経って、身体に自己調整のスイッチを入れる働きがあるのだと、今は思う。
仏(ぶつ)や儀式は、それ自体がリソースになり得る。

ありがたい気持ちでお勤めを終え、仏様に手を合わせた。

お勤め後は齢を重ね感性がやわらかく磨かれてきたおばあちゃんと、日常の何気ない、だけど奥深い会話をさせて頂く。

家を後に車で出発すると、なぜかうちのお寺の方に向かう気がしない。

今日はまっすぐ坂を下らず逆に登ってみよう、と反対方向へ。

丘の上、高低差のある古い集落の家々をながめながら何か気になる感じに導かれつつ車を進める。
以前もこんな流れに乗って、見晴らしが良く緑豊かな丘にたどり着いたことがある(アドバンスト5シリーズのレポート)。

しかし、今回はどうも古い集落の中心部に向かっているようだ。

ふと、右手に石のお像があることに気がついた。

「ここだ」という直感とともに車を駐め、近寄る。

おそらく空海さんと思われる仏像だった。
安政の元号が刻んである。

しばらく、この、何かを感じさせられるお仏像の前で、身体が反応し動くのを感じながら過ごす。
もう身体も落ち着いた頃、僕から見て空海さんの向こう側ではお日様が雲から顔を出し、空海さんを背後から照らす。

力強い光を浴びながら手を合わせ、仏像を後にする。

この話にはさらに続きがある。

午後、半田市内の墓地で納骨のお参りをした際、初めてお会いするご家族が、その仏像の近所の出身で今も住んでいるのだと教えてもらう。

この日の納骨は前日にたまたま住職の予定が変わって担当したお参りだったので、偶然の一致に思わずニヤリ。

どうも空海さんの像のそばには尼さんが住んでいた庵があったそうだ。
植大はかつて機織りで栄え、今も機織り機が稼働している数少ない場所だそう。

呼ばれるように訪れた、気になるエリア。

土台がとても大きく立派。大地へのグラウンディングと、上方への軽やかでオープンな広がりが両方感じられます。